ようやく社会人になって、自分のくるまを持てるようになりました。

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 最初の自分のくるま(昭和39年型 コンパーノ・スパイダー)

 何とか大学を卒業して就職し、新宿区に新築された独身寮に入れてもらった。と言えば格好良いが、六畳一間に大の大人が二人暮らしで、部屋によっては、一晩中麻雀や飲み会が開催されているという状況。
 こんな悲惨な状況にも慣れ、入社半年ほど過ぎた昭和44年のある日、自動車部時代のK先輩から「コンパーノ・スパイダー要らない?」とのお電話がありました。

 コンパーノ・スパイダーとは、トヨタの支配下に入る直前のダイハツが、イタリアのヴィニアーレにデザインを頼んで800ccの「コンパーノ・ワゴン」を発売し、それをベースに、1000cc4座のフル・オープンの小型スポーツを作ったものです。ミクニの2連のCVキャブレターを備え、OHVながら8000回転は楽々回るという、不思議なエンジンがついており、ふかすと、吸気音がぶんぶん聞こえる「野蛮だが痛快」(ポール・フレール氏の評)なくるまでした。
 Kさんのスパイダーは、封印されたレース用のエンジンを積んで、ダイハツのセミ・ワークスカーとして富士等を走ったこともあるくるまで、その後、市販レベルのエンジンに積み替えられラリーに使われていました。赤いボディに艶消しの黒のボンネット、その上にプラスチックのスポイラーを立て、直径10センチほどの3点式ロールバー、グリルは外して黒い金網にし、ミシュランのXASを履くという、勇ましい格好です。

 「乗りこなせるかな」と不安が私の脳裏をよぎりましたが、Kさんからの「試しに乗ってみてからで良いよ」とのお言葉に、松江の家までの帰省の足にすることにしました。弟と会社の同期生を乗せて東名をひた走り、ロールバーが真ん中を通る、狭い狭い後部シートに押し込めてあった友人を四条河原町でおろした途端、「セルが噛んで回らない!」。友人に押してもらって無事再スタートしたものの、この症状がそのうち頻発するようになり、持病として長くお付き合いをすることになるとは、神ならぬ身・・・帰京後早速譲って頂きました。
 Kさんにお支払いしたのは、わずか5万円。当時の月給の2カ月分程度でしたが、このコンパーノ・スパイダーには、とにかくお世話になり、また、お世話をさせてもらいました。

 オープンにして最も気持ちの良いのは、冬。特に凍えつきそうな夜に、ヒーターをフル回転させて星空を眺めながら走るのは最高でした。
 お世話をさせてもらったほうとしては、約3年の間の記憶に残る修理は、

1)「ぼろ」と化していた幌の張り替え
2)走行中に折れてしまったシフトレバーの交換
3)キャブが重すぎたのか、インテイク・マニフォルドを締め付けるボルトが根元から折れてしまい、ヘッドを外して逆タップを切ってボルト交換
4)中央高速の当時の終点の調布で降りようとしたら、ランプの一番高いところで突然エンジンが停止。一時間ほどかけて色々チェックして、ディストリビューターのポイントのベースのアース線が切れていることを発見。なんとか修理して帰宅。

 といったところで、持病となっていた「セルの噛み」は、隣に人が乗っているときは手伝ってもらって押し掛けをすることですましてしまいました。(最大の被害者はかみさん・・・「押しかけ女房」【ぱこっ☆】。一人の時でも道路の傾斜を利用して何とかした。)
 そのうちに、クルマのほうが諦めたのか、余り症状が出ないようになっていって、このくるまの最後のご奉公は、長女が生まれるときの産院への輸送。こういう非常時には当然一発でエンジンは掛かり、ウンウンうなるかみさんを乗せてしずしずと産院に到着。本当にお世話になりました。
(くるまの写真は、小松市の日本自動車博物館所蔵の後期型スパイダーと、今年のニューイヤー・ミーティングに参加されていた、オリジナルのヘッドライトの小さい前期型セダンです。こっちの方がずっと格好いいと思われませんか?)


 2台目(SUBARU 1000)と3台目(SUBARU 1300G)

2台目(昭和41年型 スバル1000DX)

 大変お世話になったコンパーノ・スパイダーも、車令10年ともなると、床にできた穴から地面が見えたりして寄る年波には勝てず、昭和48年とうとう引退することになりました。子供も生まれたし、今度は普通のくるまが良い、というので探し当てたのがこのくるま。車検を取得して15万円でした。東京と福岡で約4年間使って、転勤を機に福岡の友人の息子さんに差し上げるまで、タイヤもトーヨーのしょぼいラジアルのまま替えず、滑り始めてきたクラッチもだましだまし使わせて頂きました。しかし、広い室内、人間が3人くらい入れそうな広大なトランク、静かでスムースな水平対向エンジン、すっきりしたデザインなどなど、初代サニー、初代カローラにほんの少し遅れて登場したくるまですが、設計思想ははるかに進んでおり、独特の排気音と共に、素晴らしいくるまであったと思います。今でも、このスバル1000(とくにツイン・キャブのスポーツ)は私の最も欲しいくるまの一つです。

3台目(昭和46年型 スバル1300G)

 福岡から鳥取に転勤し、やっぱり車が欲しいというので、ニュー・レオーネの発表会をのぞいていたところ、スバルの社員の人がこのくるまを持っているのを聞きつけ、25万円ほどで譲ってもらいました。1000の車体に1100cc→1300ccとボア・アップしたエンジンを積んだFF1シリーズの最終モデルです。1000と比べるとパワーはさすがにあるものの、少しゴロゴロ言って回転が滑らかさに欠けるような感じです。父母が住んでいる松江まで毎月1--2回は片道100キロを往復するなど、日常生活にくるまを一番使った時期でした。このくるまの最大の弱点は、ドア回りからの水漏れ。三角窓のシールなどを交換して貰いましたが酷くなるばかり、シートカバーを掛けないで雨の中に駐車しておくと、フロア・カーペットが水浸しになってしまいます。それでも、ユニロイヤルのタイヤとマーシャルのヨウ素ヘッドランプを付けて、山陰地方をあちらこちら走り回りました。このくるま、2年余り乗って、東京へ転勤することになったので、スバルの社員の方に8万円で引き取ってもらいました(車検を取ったばかりだった)。

(画像は日本自動車博物館所蔵のスバル1000。隣はFF-1 SPORTS 1100cc )


 4台目(SUBARU LEONE 1600GLF)と5台目(SUBARU LEONE HT 1800GTS)

4台目(昭和55年型 スバル・ニュー・レオーネ1600GLF)

 東京に帰ってきますと丁度こき使われる年代で、都心の社宅をあてがわれて、忙しい時には、土日・休日出勤は当たり前。完徹を含めて平均帰宅時刻が午前2時、子供達が起きている顔を全く見ることがないという生活。しかし、仕事が一段落すると、ついつい自動車屋サンをのぞいてしまうのが「刷り込み」の怖いところ。初代から、5万円→15万円→25万円と購入価格が順調に(?)伸びてきていましたので、「次は、35万円のくるま!」と、初代のレオーネを探しました。でも、結構高い上に、どうもしっくりしません。そのとき「社用車で半年くらい使った現行車があるがどうか」ということで、一番穏やかな仕様の75万円の車を購入することにしました。6千キロほど走った、ほぼ「新古車」でした。
 タイヤをミシュランのZXに履き代えてみると、明るい室内、柔らかで結構粘るロードホールディングなど、さすがスバルですが、トランクの浅さなど、やや物足りないところもありました。それと、「子供達の健康に悪いから」と、エアコン無しにしたのは大失敗でした。東京の渋滞の中を汗をかきかき走ることを考えると、夏の稼働率は、大幅に下がってしまいました。
 この車は、ほとんど故障することもなく、よく走ってくれました。日光いろは坂の登りもなんのその、秩父の中津川から三国林道経由で梓川に抜けた極め付きの悪路でも床下を殆どこすりもせず、また快適で、4WDでもないベーシックなセダンだけど「このへんはスバルだな」と思わせるものがありました。ほぼ10年乗って、前輪のインナージョイントのブーツが破れたり、マフラーの穴をホルツで塞いでいたのがまたあくなどかなりくたびれてきたのと、エアコンの無いのについに我慢ができなくなったのとで、同じ社宅の居住者の息子さんが使いたいというので、車検切れの直前に差し上げました。

5台目(昭和58年型 スバル・ニュー・レオーネ・ハードトップ1800GTS)

 空白の35万円を目標に後継車探しをはじめました。当たり前のくるま(つまらない)、軽ジムニー(ステアリングやブレーキペダルなどがふにゃふにゃしている)、古いゴルフ(信頼性が?)、と考えあぐねて、大古車を扱っている高島平の中古車屋さんをのぞき、初代のシティやFFのファミリアなど見るが、やはり気に入らない。と、中古車屋さん曰く「売り物じゃないんだが、修理の代車に使っている古いレオーネがある。車検が3カ月ほどあるが、13万円でどうか?」。これが発売当時の最高スペックをすべて集めたハードトップ(旦那仕様車)でした。そこで試乗の結果、少しクラッチが滑り始めているものの、面白いし、程度もまあまあなので、購入することとしました。
 このくるまの装備とは、
1) 4輪ディスク・ブレーキ
2) 完全自動エアコン(万歳!)
3) パワ・ステ、パワーウィンドウ
4) オートクルーズ
5) 完全デジタルメーター(タコメーターも数字だけ、燃料計や温度計も液晶バー表示という徹底したもの。)
6) カーステレオ
7) 初期のドライブ・コンピューター(トリップ、ストップウォッチ、時計、直前の燃料消費状況で残燃料を割って残走行可能距離を表示など)
 というもの。みな100%作動します。車検のときにクラッチを交換し、タイヤをピレリのP4に付け替えて京都往復(墓参り)や、大阪での単身赴任のときも持っていって、鳥取や舞鶴、和歌山や淡路島などへも走り回りました。
 このくるまの使い勝手は、
1) 乗り心地が良い(外の車に乗ると良く分かる)
2) ものすごいハイギアリング(5速100キロで2400回転、3速でも3300回転位)で燃費は良く、高速だけだと15キロを記録。
3) しっかりしたパワステ、安心できるブレーキ
4) 完全デジタルメーターは、不便。また、速度計が100キロになると、即座に数字が赤くなりチャイムが鳴り出すという愚直さは、×。
5) 「こんなもの、日本で要るか!」と思っていたオートクルーズは、意外と多用した。高速を長距離走ると、100キロになると途端に鳴り出すアラームがうるさいため、98--99キロでセットすれば、静かな巡航を楽しめることが判明。
6) HTの大きな2ドアは、駐車場などでは持て余し気味。
 といったところで、4年余りの間快適な「中速巡航車」として活躍しました。しかし、車齢が12年に近づき、もう1年車検しかとれないこととなったため、手放すこととしました。

(画像は北陸TTDでお会いしたすばらしいコンディションのLEONE RX。私のHT1800GTSと同じボディに4輪駆動のメカニズムを装備した、ラリー用ベースモデルです。)


 6台目(平成元年型 いすゞ・FFジェミニC/C)

 スバルを4台乗り継ぎ、次はレガシィあたりへ行くのが順当かもしれませんが、「大きすぎる」との反対(中古車でも高いし)があり、たまには違う会社のくるまを探してみようということになりました。「今度こそは空白の35万円!!」。できるだけコンパクトなセダンということで、いすゞの初代FFジェミニをターゲットに。このくるまは、四角くてコンパクトなケレン味のないスタイルで、モデル・チェンジ間近になってむしろ良く売れたというもの。それに、大きい声では言えませんが、ハンドリング・バイ・ロータスは無理としても、うまくすればレカロ・シート付のターボか、フォルディング・ルーフ付のユーロ・ハッチが買えるかもしれないというので、せっせといすゞ巡りを開始しました。しかし、ターボやユーロ・ハッチの値段のこなれたものは、やはり使い方が悪く荒れているため、おとなしいブルー・グレーのくるまを購入することとしました。値段は、ほぼピタリ35万円でした。
 使ってみた感想は、
1) コンパクトさ、燃費などは考えたとおり
2) サスペンションのできは、どうみてもスバルに2--3歩遅れている。落ちつきのないリア・サスや、路面の凸凹にまともに反応するフロント・サスは、アライメントがおかしいのでは、と疑ったほど。(反面、スバルの評価はぐっと上がった)
3) 「街の中の遊撃手」という発売当初のキャッチフレーズどおり、街の中では極めて軽快です。スバルの旦那仕様に乗っていたときは、あまりあくせく走ろうという気もしませんでしたが、ついつい、ちゃかちゃかと走ってしまうところがあります。
4) ステアリングやブレーキのフィールは、同年代のT車あたりとくらべると、ずっとしっかりしており、レオーネと同等。
5) 横うねの、見かけのすっきりしたシートは、長距離には全く向かない。腰が痛くなって、クルマからはい出るはめに。
 といったところです。外観と機械的な部分はほぼ思ったとおり、内装やサスペンション等の煮詰めが不足という感じです。
 くるまとしては気に入っていたのですが、腰痛問題等もあり、3年余り、8千キロ弱走行で乗り換えることにしました。

 写真は、ようやく見つけたかつての我が愛車の写真(初めて自分のクルマの写真をアップ【バコッ★】)です。


 スバルに復帰だ!!(7台目:1996年式 SUBARU LEGACY TOURING SEDAN 250T)

 さて、「刷り込み」なのだから、どうせ直らない「じどうしゃやまい」だと開き直って、次期FXの選定にかかりました。
 第1条件は、とにかく「普通のクルマ」は、イヤだ!!

1)「シトロエン・エグザンティア」・・・ハイドロなど万一壊れた時に怖いなぁ・・・
2)「新型 VW POLO」・・・「売り」が女性に偏っているのでイメージが違うなぁ・・・
3)「ミツオカ・ビュート」ボディーカラーもシックだし、何より中年夫婦が乗って様になる(^_^;)
 で、早速、葛西にあったミツオカ自動車ショールームに → → → ((((=・o・)ノ ゴーゴー♪

 現物をよく見ると、トランクルームの真ん中に敷居があって、「これより後ろには10kg以上のものを載せないで下さい」という注意書きがあったり、1200ccで内装も外見に見合ったものにすると、結構高くなることが判明・・・納得できず、対象外に。

4)スバルに戻って「インプレッサ」(できればWRX)
 ・・・菩薩さん「あのシートは絶対にダメ」・・・(完全なバケットシートで、体の小さい菩薩さんは「すぽっ」とはまってしまって、暑いし、抜け出すのに四苦八苦するとのこと。)
5)「ちょっと大きいけどレガシィにしよっ!!」ということで決定。パチパチ(^_^;)

 仕様は、もちろんセダン(ワゴンの1/10しか売れなかった)。少し欲張って250T。色は、グリーン(ワゴンには多いけどセダンでは珍しい。)ということにしました。B4になる前の最終モデルで、2.5Lでトルクも大きく「安全・快適・快速」の3拍子揃ったバランスの取れたクルマでした。それと、特筆すべきは、シートの具合の良さ。腰が痛いときにこれに乗ると痛みが薄らぐという、夢のような状況に(^_^;)。
 また、購入直後に、雑誌カーグラフィックの読者で構成する「CGCLUB」によるイベントが豊島園で開催されることとなり、私もボラアンティア・スタッフに応募し、以後、沢山の同病者とお仲間になることが出来ました。
 そのイベントも、2006年の第10回は、修善寺のサイクルスポーツセンターで開催ということですから、早いものです。(スタッフとして皆勤です(^_^;))
 このクルマの購入とクラブ活動への参加で、私の行動範囲が「ぐ・ぐ・ぐっっっつ」と伸び、小松(2回)、松江などなど、7年で4万キロ弱を走り、総平均燃費も8.4km/lと良好でした。

 写真は、第2回 CG DAY の準備段階で撮った同病のUさんのスバル360(てんとうむし)とのスリーショットと、CGCLUB のプラックを貼ったテールの写真です。



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