くるま |
わたしのびょうき、クルマのページです。
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なぜクルマが好きなのか? |
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私の日頃の行動パターンをご存じの方から見ると、「趣味は車です」というのはやや奇異に感じられるようで、表記の質問をされることが時折あります。また、わが家では、書棚に入りきらない創刊号以来のカーグラフィックや、もっと古いぼろぼろのモーターマガジンは、「片づかない」として家庭争議のネタの一つとなっており、その際には、かみさんから同様の詰問を受けることになります。 「なぜ」と言われても、「好きなものは好きだから」としか言いようがありませんが、そういった際には、次のようにお答えすることとしています。 「動物の世界で、”刷り込み”というのがあるでしょう? カルガモは、卵から孵ったときすぐそばにいる動くものを自分の親と認識してついていく、あの習性ですよ。僕が物心ついたころ、家のすぐ近くに消防署があって、祖父におんぶされて毎日見に行っていたそうです。そのせいじゃないんですか。」 私の育ったのは、島根県松江市。2才から15才(中学2年の末)まで暮らしました。終戦直後の山陰地方ですから、自動車とは縁がなさそうに思われるかもしれませんが、家の斜向かいに消防署があり、祖父に毎日「赤ブーブー見に行こう!」と言っては、連れていってもらったようです。また、戦後しばらく、進駐軍の山陰地区の本部が松江にあり、オーストラリアとニュージーランドの軍隊が駐留しており、将校たちがジープで走り回わるのを身近に見聞きしておりました。 このころの、車にまつわる強烈な記憶は、多分ねだって乗せてもらったんでしょうが、進駐軍のジープの後部座席に乗って非舗装路を走ったときの振動と騒音、そしてバタバタと揺れる幌の隙間から見える路面のスピードです。(怖かったぁ〜) |
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私の小学校時代「くるまにさわろう!」 |
私の通学経路は、家を出て県庁の中を横切って、丁度反対側にある小学校に着くという好都合なものでした。行きにも帰りにも県庁の車庫の前を通って行きます。運転手さんに「これは何という車か」などど聞いたり、たまには乗せてもらったりしました。このころの県庁の車は、戦中型か戦争直後型のアメ車が中心。ビュイック、パッカード、シボレー(読めなかった。)、マーキュリー、フォード、ポンティアック、オールズモビルなど雑多でした。そのうち、ヘンりーJなどというモダンな小型アメ車や、オースチンのA40(だるま)なども入ってきて、知事の車としてメルセデスの220(中古)を買ったら故障ばかりするので、三角形のテールランプの56年頃のシボレーのインパラに代えられたこともありました。 同級生の家がオートバイと外車の販売・修理をしていたので入ってくる車を見に行ったり、珍しい車が走っていると止まるまで自転車で追っかけて(狭い町だから可能)のぞき込んだりの日常で、モーターマガジンを買って、後に「カーグラフィック」誌の初代編集長になられた小林 彰太郎さんのお名前を知ったのもこの頃(小5のころ)です。 この時期の私の記憶に焼き付けられたクルマは、何といっても1957年型のフォード・フェアレーン500。モーターマガジンでアメ車の特集を見た1〜2カ月後のことでした。ピンクと白のツートーンに塗り分けられた、4ドア・ハードトップで全高1、3メートルほどの華奢な車が、テールフィンをピンと跳ね上げてお堀端の武家屋敷前を走る姿は、何とも不可思議なものでした。 持ち主は、島根県唯一最大の観光業者であった一畑電鉄のY社長。外人観光客誘致ということで購入が認められたようです。ある日、学校からいつものように県庁の中を通って帰ろうとすると、この車が停まっていました。習性に従って中をのぞき込んだり、下をのぞいたりします。運転手さんが心配そうに近寄って来たので、「この車57年型のフォード・フェアレーンでしょ」云々と質問責めにしていると、社長さんが出てきて車は出発。ところが、20メートルほど走ったところで停まって、「乗って行きなさい」。もちろん乗って家に送ってもらったという次第。パステルカラーの室内、ぐっと回り込んだフロントウィンドウ(初代セドリックもまねをした「パノラミック・ウィンドウ」)、深いコーン型の細いステアリングホイール、ピラーレスのサイドウィンドウ、いままでの車とはかけ離れた低いアイポイント等々「低い、明るい、きらきらしている」というのがフェアレーンの印象でした。(ちなみに、私の弟がこれを聞いて、「お兄ちゃんだけずるい」と言って泣いた記憶があります。) |
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中学生時代「くるまを作ろう!」 |
中学校に進むと、新しい先生や友達ができました。職業科と数学の担当教諭の通称「かば」さんとのお付き合いが始まります。海軍の航空兵の生き残りで、授業の半分はB29との遭遇戦を中心とする、戦争の話だったような気がする。古い、くたびれはてたオートバイ(「ポインター」)に戦闘帽、皮ジャンに白いマフラーというスタイルで通っていた。職業科の実習室には、自動車のエンジンやミッションの模型とかもあって、結構勉強になったと思います。 2年生になったころのある日、モーターマガジンを見たら、「ミジェット・ミジェッティ製作記」なるものが載っています。鋼管でシャーシーを作り、汎用のエンジンを乗せた子供用のフォーミュラタイプの自動車で、何よりも魅力的なのは、「道路上を走っている!」写真。中学生になると、原付に乗ってくる生徒も出てくるし、仲のいい友人のバイク屋さんや自転車屋さんの店には、大型のバイク(ヤマハのYDや赤トンボ、ホンダのドリーム250)が入ってくる。でも、これで公道を乗ると無免許で捕まる。自分たちで作ったものなら、ひょっとすると「玩具だから」という理由で大目に見てもらえるのでは、という希望的観測の下に、私、自転車屋さんの息子、鋼材屋さんの息子それに工業高校の先生の息子の4名で、自分たちの「くるま」を作るプロジェクトをスタートさせたのです。 設計の基本構想、諸元は次のようなものでした。 1) エンジン バイク屋さんの裏庭に放置してあるバイク(トーハツ製の98CC「バンブル号」)を貰い、2段ミッションと共に利用する 2) シャーシ アングル鋼材を溶接してラダーフレームを作る 3) 車輪 子供用の自転車のホイールを購入して利用(最大の現金支出) 4) ステアリングホイール 自転車屋さんにあった、古いダットサンのものを利用 当初は、サスペンションなしの二人乗りにしようと考えたけれど、凸凹をまともに受けると壊れる心配があったこと、コンパクトにしたいといったことから、今様に言えば、「前リーディングアーム、後ろトレーリングアームのリジッドタイプ」のサスペンション、左ハンドル(!)の運転席の右側に助手の代わりにエンジンが座り、後輪をチェーンで駆動する(ミドシップ!)というタイプに変更しました。 当初は、自分たちで鋼材などの材料を買って溶接屋サンに持ち込むということでやっていましたが、だんだん大きくなって組み立てる場所もないし、ベアリング回りやステアリング系など、中学生の手に余ることが多くなり、作業が行き詰まってきました。ここで、メンバーのお父さんに頼み込んで、工業高校の作業場と機械器具類を使わせて頂けることになりました。旋盤やボール盤、ノギスや定盤などの本格的な工具と先生のアドバイスにより、ようやく何とか見通しが明るくなってきました。 ここで突如起きたのが、私の家族の東京転居の話です。結局車が出来上がったのは、引越の数日前。春休みの学校の校庭に引き出し、押し掛けでエンジンを掛け、走り出したときの感激は忘れられません。 なお、この車は、一昨年、若いクルマ好きの兄弟の方に完全レストアしていただき、何とか動く状態になりました。01年の暮れに再会し、感謝・感激しました。 「お前、本当に良く生きていてくれたなぁ!!」 |
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中学3年(東京)--高校生時代「くるまの勉強をしよう!」 |
中学3年になって、東京に来てみてびっくりしたのは、「何といろんな車が走っていることか!」ということです。松江で一度だけ見たことがあるMG−TFや、雑誌でしか見たことのないポルシェなども走っています。オートバイも、同じホンダでも、カミナリ族御用達のCB450がいくらでも走っています。それでも、過去数年に亘る雑誌購読の成果か、たいていの車は、見ただけで名前が分かります(オートバイに至っては、排気音だけでホンダかヤマハかトーハツかコレダ(スズキ)かの見当がつく!)。 これは、実に心強いことでした。というのは、山陰の地方都市から、東京のど真ん中の中学校に転入した私としては、何らかの心理的な優位性を持っていないと、賢そうな東京っ子と太刀打ちできません。そのとき、「車については、誰にも負けない」という自信は、結構な支えになったと、今でも思っています。 高校受験の参考書の傍らに、モーターマガジンや、その臨時増刊号の「世界の自動車アルバム」を置きながら勉学に(どっちの?)励みました。 高校に入学して、通学に利用したのは、日本では、今は黒四ダムに行く途中でしか走っていない、トロリーバス。アクセルを踏んだ瞬間の、スイッチ感覚の「カックン」というスタート。車重がバスより重いためゆったりとした、しかし、直線的な加速。静かな車内(特に停車時)。時折、「ガタン、ゴロゴロ」という音がして架線からトロリーが外れ、車掌が降りてひもで引っ張ってはめ直す。この実に味のある乗り物に約40分も乗れるのですから、退屈しません。学校が某有名女子中・高校と隣り合わせで、座っている生徒が、学校、男女の別なく立っている人のかばんを持ってあげる麗しい慣行があり、また、乗り換えで時間があるときに、渋谷の大盛堂(今の場所ではなく、道玄坂の入口に近いところにあった)で立ち読みをするのも、楽しみの一つでした。 この時代に私にとっての一大事がありました。それは、昭和37年のカーグラフィックの創刊です。 モーターマガジンの編集部から飛び出した小林彰太郎さんが、書道などの美術書専門の出版社である二玄社から発行されたものです。 トロリーバスの窓から大盛堂のショーウィンドーに、銀色のメルセデス・ベンツ300SLが写った創刊号の表紙を見つけたときは、ドキドキしました。開いて見ると、これまでの自動車雑誌とはかけ離れた迫力満点・鮮明な写真。村山の日産のテストコースを180KM/Hで疾走するなど、徹底した(当時の水準としては)テスト。豊富な海外情報などなど。しかし、問題は、その価格。当時のしがない高校生のお小遣いでは、230円はかなりの負担でした。各号は、徹底したメーカー特集主義で、フェラーリの特集(250GTのイタリアでのテスト!)、ジャガーの特集(EーTYPEのテスト)と、息をつく暇もなく攻めたてられ、その合間の日産特集、MG特集、シトロエン特集などは、財政事情から購入を見合わせることとなってしまいました(後で揃えるのに大変な苦労をした)。 今になって考えると、この時期は、「紙の上でくるまを勉強する」時期だったようで、実際に自動車に触れるのは、受験勉強と何とか両立させて、大学に入った後になります。 写真は、毎日乗ったトロリーバス(写真提供:tanzさま:http://homepage2.nifty.com/tanz/ トロリーバス関係HPはご閉鎖中のようなので、お早い復活をお待ちしています。)と、カーグラフィック創刊号などです。 |
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大学時代「ようやく大人のお付き合い」 |
晴れて入学した大学生。とにかく最初に行ってみたのは、石炭置き場と同居の自動車部のたまり場。昭和39年といえば、マイカー時代が始まるかどうかという時期で、自宅に自動車があるのはごく少数派。「自動車部に入れば免許が安く取れる!」というのをキャッチフレーズに、とにかくたくさん入部させて入会金をかき集めていたことは、入ってから分かったこと。 練習車は、教習所上がりの、ブレーキが助手席にもついている黒いクラウン(初代)で、先輩が同乗して放課後の構内で練習することになっていましたが、練習券を購入して申し込んでも順番がまわってきません。どうも、新入部員が40人以上居て、毎日4人練習できたとしても2--3週間に一回位しかできない勘定です。親切そうな先輩に、「大学祭がすんでしばらくしたら部員が減るから、そのころ来た方が良いよ」と言われたので、その頃になって行ってみると、待っていたのは「地獄の練習場作り!」。大学から空き地(沼のあと?)の使用許可をもらったので、道路を走っているダンプを捕まえて、工事現場から出た土を捨ててもらって、シャベルと小さな振動ローラーでならす。練習を一回するためには、数時間は炎天下で土木作業するのが条件になっていた・・・いやぁ、青っちょろい元受験生には応えること応えること(^_^;) ある程度走れるようになると、練習場の中ではスピードが出せないため、何回か新宿区にあった自動車練習所に通い、小金井の試験場で受験して、18歳数ヶ月でめでたく免許を取得することができました。 この時代の私と自動車との関係は、「ようやく大人のお付き合いを始めた」ということになります。本の上ではエンジンオイルの流れとか、ラジエーターの構造とか、さらには、決して見る機会のなさそうなレーシングカーの構造についても充分承知しているものの、如何せん、ボンネットの中など全く見たことも触ったことも無かった訳で、「オイルを確認してくれ」と言われても、最初は全くどうすれば良いか分からなかった。それが、そのうちに、書物上での知識をかさに「整備主任」になり、いすゞベレルのクラッチを交換する指揮をとったり、伊豆遠征、九州遠征などに参加し研鑽を積むことになりました。5年ほど居た大学の卒業間近には、免許取得ほやほやの友人のコーチ役になって、マツダ・ファミリア800に乗って、東京−広島往復約1800キロを走破するまでに、実務経験を踏ませて頂きました。国産、外車(38年日本製フォードや53年のキャディラックを運転したこともある)を問わず、どんなくたびれ果てた車でも高性能車でも、何とか走らせ、また、路上でストップしてしまうような故障でも、壊れた箇所をつきとめ、できれば何とか修理工場までは動かして行けるという、(いわれなき?)自信を今日まで持ち続けているのは、この時の訓練の賜物と思っています。 (写真は、国産車の記事が載っていた当時のモーターマガジン誌切り抜き・・元本所有(^_^;)・・です。) |
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