市民農園の紹介
| 歴史 |
| 日本に最初の市民農園が開設されたのは、文献によると1924年(大正13年)の10月である。これは、この前年に創設された園芸愛好家の民間団体である「京都園芸倶楽部」が事業として行ったもので、以降この倶楽部による分区農園(市民農園)の開設が次々に行われていった。 この京都市の動きに対して大阪市では、市と大阪市農会が協同して1926年に市民農園を開設した。また、東京では東京市農会が1933年に大泉市民農園を開設するなど大都市に展開されていった。 しかし、これらの市民農園は、第2次世界大戦および戦後には全て消滅してしまい、1952年に現行の農地法が制定されたことにより、市民農園は農地制度的に存在できなくなってしまった。 一度は中断していた日本の市民農園が動き始めたのは、昭和40年代中頃で、1969年に神戸市と東京の板橋区で市民農園が開設された。そして、都市部を中心に市民農園が開設されだし、1974年には全国で163農園を数えるようになった。 1975年になると、動きを見ていた農林水産省が、構造改善局長名で都道府県の知事宛に通達を出し、市民農園を”いわゆるレクリェーション農業”として認め、これにより市民農園の開設の動きが加速し、1987年には全国で2718農園に増加した。 1988年には、超党派の国会議員からなる市民農園促進議員連盟が発足し、法律制定への足場が固まるとともに、市民農園が政策に取り上げられるようになり、1989年に「特定農地貸付に関する農地法等の特例に関する法律」が制定され、条件付きながら農地法上から貸付け行為による市民農園の開設が可能になった。翌1990年には、「市民農園整備促進法」が制定され、附帯施設の整備も可能となり、市民農園を大手を振って普及できる段階に達した。 (研究会幹事 廻谷義治著「生活の中の市民農園をめざして」より抜粋) |
| 特徴と形態 | ||||||||||||||||
| 日本の市民農園は、欧州諸国の市民農園と比べて、次の特徴がある。 @利用土地が日本では農地であるのに対し、欧州では都市緑地 A利用期間が日本では概ね5年以内であるのに対し、欧州では長期間 B農園の運営・管理が日本では開設者であるのに対し、欧州では利用者団体の協会 形態としては、基本となる畑区画のみから、宿泊滞在できる小屋を各区画内に設けるものまで様々存在するほか、農園の立地も利用者の生活圏域から数時間離れた山間地まで多様である。
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| 開設状況 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
平成11年度に農林水産省が行った市民農園実態調査では、全国の市民農園総数は、6138農園となっている。下表は、この調査に基づき、研究会が推計した値を含めている。
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| 小屋付き農園の例 | |
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| 兵庫県八千代町(フロイデン八千代) | 長野県四賀村(坊主山クラインガルテン) |
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| 茨城県笠間市(笠間クラインガルテン) | 岡山県岡山市(牧山クラインガルテン) |
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| 北海道栗沢町(栗沢クラインガルテン) | 群馬県甘楽町(甘楽ふるさと農園) |
| 日本の市民農園 |
| 小屋なし農園の例 | |
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| 千葉県千葉市(萩台市民農園) | 群馬県倉渕村(倉渕クラインガルテン) |
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| 北海道帯広市(帯広の森市民農園) | 埼玉県花園町(花園町ふれあい市民農園) |